今更ながら発達親子の自己紹介。(長文です)

去年の9月からちまちま記録していますが

去年は自分に余裕が無くて

ブログに自分の気持ちをまとめるので

精一杯だったので。

 

今更ながら、発達親子の自己紹介を

ちゃんとしておこうかなと思い

今日はブログまとめようと思います。

 

 

〈息子〉

5歳。今年6歳。

ADHDASDの併発。ADHDの方が少し強い。

勉強が段々できるようになり

今は足し算、引き算、アルファベットの読み書き

漢字が多少読めるようになってきた。

足し算引き算読み書き漢字、これすべてマインクラフトのおかげ。

マインクラフトに出てくる漢字の読み方や意味を理解してる。

 

たぶん単体で漢字が出てきたら読めないけれど

剣、とか盾、とか樹木、とか。

ゲームに関連する漢字は攻略本片手にずっと集中して読んでる。

その集中力をできれば他のことに向けさせたいところ(親としては)

 

LDの心配もありましたが、ここはまだグレー。

読めるけど見本なしに文字が書けなかったり、手紙のように自分で考えた文章を

紙に書けないというところが気になる。

(来年入学だが、黒板の写し書きなどはどうするんだ…?と考える)

 

好きな事への執着・探求心はとてつもないけれど

苦手な事・不得意なことには一瞬で飽きてしまい気が向かず。

切り替えがうまくできない事や他の子供の輪に入っていけないのが

見ていて目につくところだなと感じる。

幼稚園に行っていても持ち物確認の際に

つまずいてしまうことも。 

 

幼少のころは目がなんとなく合わず

こちらがどんなに目を見ても

黒目の近くを見ているような、完全には合ってないような目線。

1歳に入ってから歩けるようになったが、歩けるようになったら

今度は多動がひどく、追いかけられない。捕まえられないぐらい速い。

そのころすでに体重は12キロ近くあり、抱っこもおっくう。

1歳のころは発達障害の文字も知らなかったので、こういう子なんだと思ってた。

でも今思うと多動だったんだな、知らなくてごめんね、なんて思う。

 

ワンオペ育児・群馬なのに車がなく買い物はすべて徒歩。

休みの日に車を出してもらって買い物に行っても、息子は私が見ながら買い物。

ひとり車に残って悠々自適な元旦那。

そこで30分でも、買い物のあいだ俺が見てるよの一言が欲しい。と感じながら

多動のひどい息子を連れて買い出しに。

周りは「しつけのなってない子どもを連れて…」

と言いながらこちらを見る人たち。

私は胸が押しつぶされる

 

しつけのなってない子どもじゃないんだよ。

こういう子なんだよ。どうしようもないんだ。

手つないでて、お会計済ませようとして手を離した2秒後に

もうそこには息子はいないんだ。

私はいつもお金を渡しそびれて追いかけては

店員さんに「大丈夫ですか…汗」と声を掛けられて

混んでるのにごめんなさい、後ろの人ごめんなさい、と思いつつ

息子にイライラしてしまう日もしばしば。

 

そんな追いかけまわす日々は2年ほど続いた。

買い物のたびに見られてしんどい、と元旦那に伝えると

「気にしすぎだよ」「周りにそんな子はいない」

「お前のやり方が悪いからそうなる」「じゃあ俺が抱っこしていくよ」

しまいには抱っこ拒否で結局わたしが抱っこしながらカートを押す始末。

お荷物じゃないか。お荷物が増えただけじゃないか。

カートすら押してくれないのか。考えられないよ。

なんて考えながら毎回カリカリしてた。

 

私もADHDゆえ、ブログを書くと話がそれてしまう。

そんな裏話どうでもいいんだよ、なんてね。

戻ります。

 

2~3歳まで視線が合わないことや他害の行為のひどさが増してきて

園の先生に注意されない日がないほど毎日注意されており

・お友達の上靴を水が張った花壇に投げてしまう

・お友達の持ち物を壊してしまう

・誰かしらを毎日叩く・殴る・押す・引っ張って転ばせるなど繰り返している

毎日注意されているとこちらもしんどくなってしまい

とうとう息子に今までにないくらいの顔や態度で怒ってしまいました。

その日を境に他害がひどくなり、負のループ。どうにもならない。

逃げ場がない、と感じて保健センターに発達相談に行ったのは4歳のころ。

そのまま総合病院への受診を勧められ、電話相談して予約。

息子はK式の発達検査を行い、ほかにも聴覚過敏の検査をした。

1~2時間検査をしてる間も、設問に答えられなかったり

手先の検査は20個のビーズを組むことが課題だったけれど

2個組んだ後から自分の好きに組み始めてダメダメだった。

発達検査が終わって先生との話し合い中、息子は脱走して病院内を走る。

病院内を走らないで、と伝えても伝わらない。

息子はさっそうと楽しそうに走り回る。

場所が違えばすごくほほえましい光景なのに。

発達持ちが病院を走り回る姿は、周りの人たちにどう見えただろう。

またここでもしつけのなっていない子供だ、と怒られるだろうか。

その時に先生に言われた言葉は「ここでは気にしないで」の一言で。

 

初めて自分の育児を否定されなかった瞬間だった。

病院で大泣きした。

こんなに暴れまわってるのに怒らないの?

こんなに大声上げてても受け止めてあげるの?

病院なのに?怒らないの?なぜ?

私の中には疑問しかなかった。

 

先生いわく、「気持ちが昂っちゃってる時だから止めたら悪化する」

「こういうときは、こちら側も気持ちが高まっているように見せかけて

敢えて息子くんのアクセルにブレーキをかけに行く」

と、面白いたとえを交えつつ対策を教えてもらった。

 

その日から、息子のアクセルのかかった状態に

私がブレーキを踏む、というやり方が安定した。

 

静かにしてよ!!うるさいよ!!と声を掛けるときがあれば

「それは声が大きいかもしれない」

きびきび用意していくよ!早くしてよ!と声を掛けるときがあれば

「ママもよくゆっくり用意するよ」

「でも、時計の針が〇のところに来るまでに出ないと間に合わないかな」

「〇になる前に用意しておけるとすごく楽だよ、ゆっくり出来るよ」

と穏やかに伝えられるようになった。

 

だが、意識がそれると私もガミガミ言ってしまう日もある。

ガミガミしてしまう時こそ、病院の先生に言われた言葉を思い出す。

「今は気持ちが昂ってるから止めたら悪化する」

この言葉の重みは今もずっとあって、先生ってすごいなって思う。

 

親子の診断がついてからは今年が2年目だけれど

親側からも何か息子にアプローチができないかと考え、

・はじまりと終わりの感覚を敢えてアナログ時計で示す

・数字と針がくっついたらはじまり・終わりを促す

・1日の予定をなるべく前もって伝える(切り替えられない時の為)

など、簡単なことから実践するようにしてみた。

 

療育のように視覚支援が完璧ってわけではないけど

聴覚よりは視覚優位な息子なので

予定をボードに書いて「今日は〇の日」「今日は△の日」と

一目でわかるようにしている。

 

2歳のクリスマス前ごろから5歳の誕生日がくる前まで保育園に居たが、

保育園での生活が困難な事・他の園児に対する暴力がひどいことなどを

園の先生に指摘され、話し合いのもと5歳の誕生日がきたころ退園が決まる。

 

その後は児童発達支援事業所に、毎日4時間の通所をすることに。

通所開始してからはわりとリーダーシップを発揮してくれて、

通所しているほかの子供達が2歳くらいの子供なのもあり

自分が率先して先生を手伝わなければと頑張っていた様子。

 

幼稚園に移っても問題ないだろうとのことで周りのサポートもあり

無事に今年2月に途中入園という形で入園する。

(サポートに回ってくれたのは離婚当初からお世話になっている保健師さんと

通っていた児童発達支援事業所の先生たちが園探しを手伝ってくれた)

 

現在はコロナの影響もあり2月中10回行けたかな、というところで

そのまま年長さんになってしまい、まだしっかり通えていないが

お友達の名前も3人ほどしっかりと覚え、遊んできた内容などの報告も

してくれるようになったので少し安心している。

他害行動は落ち着いたが、今はどちらかというと自傷に向いているので 

 その面のサポートを親側や児発の方でどうにかしていきたい。

 

発達障害って言葉ではポンと言えても本当に人それぞれ度合が違って

赤ちゃん期に見抜いた親は本当に些細な変化に気づいた親だと思う。

 

私も気にはしていたが、まさかそんな言葉の障害があるとは知らず

息子に定型児童が通う園に行ってもらって同じように生活してもらおうなんて

それはもはやかなわぬ願いだったんだよな、と今は思う。

 

今の幼稚園に繋がるまで時間がかかったけど

園長や先生たちは暖かく迎えてくださった。

「こういう子はうちにもたくさんいるから大丈夫」と言って入園許可を出してくれた。

 

「息子くん、今日は自分で上靴がはけてお片付けも出来たんですよ」

「今日は息子くんは自分でカバンを教室まで持って行けたんですよ」

なんて、5歳児童が言われないであろう言葉を毎日かけてもらえる。

これだけの言葉なのに、実は私も息子も救われてる。

今日はできたね、えらいねって声を掛けられる私がいて

今日は頑張れたよ~!って笑って帰ってくる息子を見られて。

保育士を尊敬してる(コロナの対応も完璧すぎて惚れた)

卒園式確実に泣いてしまうな、なんて思いながら日々を過ごしている。

 

最後になるけれど

 

発達障害かもしれない

って疑った時には、誰の言葉も受け入れずに

自分の思った直感を信じて病院や保健センターに相談しましょう。

私も友達や離婚する前の家族・親戚に相談したりしてきましたが

言われる言葉はすべて守りの言葉ばかりで

「お母さんが過保護だとそういう風になっちゃうよ」

「そういう子には見えないけどなあ」

「そういう子だったらもっとひどいよ」

「うちも〇〇だったけど大丈夫だったよ~!」

こんな言葉をかけられることが多々ある

 

私も言われたからわかるけれど

「そういう子」「そういう風」

ってなんだろうって感じた

 

同時に私も「まさか息子が…?」と思っていたので

知らないあいだに勝手に発達障害に対して

なにかイメージがあったのかもしれない

 

調べてみるとイメージとは全然違って

子供が今何で悩んでるのか、を理解できるようになる

親が何も知らないより

子供のために少しでも知っておけるとすごく気持ちも楽になる

 

今子供はこういう気持ちだから困って泣いてるんだ、など

理解できる感情の幅も増えてくるので周りの言葉は信用しない。

きれいごとばかり言ってくる人は特に。

きれいごとばかり言ってる人に限って定型児童しか育ててないんだ。

発達児童を抱える親御さんに出会う機会や保健師に相談する機会がなかったら

私は4歳の息子の発達障害を疑って病院に連れて行くこともなかったかもしれない。

きれいごとを受け止めたら私も息子も時が止まったまま社会に取り残されていってた。

きっと障害のことを知らずにいたかもしれない。

病院に行くときは勇気が必要だったけど、勇気を振り絞ったら楽になれた。

親子で診断がついて安心した。